プロ建築写真家養成 – 黒川紀章先生の元専属写真家が直伝!マンツーマン指導

メモ




目標

撮影依頼 月2件 7万×2 14万

育成講座 月2件 20万×2 40万 実際は割引で15万×2 30万

毎月44万


●キンドル電子書籍

タイトル案

7年で黒川紀章先生の専属写真家となった私の建築写真の8つの秘訣


内容 

建築写真の撮り方

建築写真家としての私のエピソード



●LP プロ建築写真家育成講座
(オンライン・マンツーマン)

実技指導あり(オンラインまたは対面)



webサイト 建築写真の齋藤写真事務所の固定ページ

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この講座で学ぶメリット

私のこの講座にかける思い

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無料LINE相談 何回かLINE通話であなたの目標や悩みを伺ってアドバイスいたします。

(ZOOM無料体験なし)



3ヶ月 20万円(割引で15万円)

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プロ建築写真家養成 – 黒川紀章先生の元専属写真家が直伝!マンツーマン指導

★プロ写真家への道

プロの写真家にはなりたいけど、いろいろ考えると不安が色々出てきて、どうしても一歩踏み出せないという方がたくさんおられます。私もそうでしたので、そんなお気持ちは痛いほどよくわかります。私自身も同じような悩みを抱えていました。未来が見えず、踏み出す一歩に勇気が必要だったあの頃の自分を思い出します。

楽しそうな趣味の延長のような写真を仕事にできれば、こんないいことはありません。多くの人たちが憧れの職業として一度は考えながらも、他に別の仕事をしながら、写真は趣味と割り切って楽しんでいる方のほうが圧倒的に多いに違いありません。そうなんです、写真を仕事にする、プロの写真家になるというのは現実には大きな壁があるのです。

★ 写真家として独立する経済的な不安

プロの写真家として活躍するためには、それ相応の機材や拠点とする事務所などの経費もかかり、写真事務所を起動に乗せるまでには収入も不安定だろうから、実際にやっていけるのだろうか、何年くらいで黒字に転換できるのだろうかといった経済的な不安が一番大きいのではないでしょうか。私も、写真事務所を始める前は、学習塾を経営していて、初期投資の費用は少しありましたが、学習塾を辞めて生活できるのだろうかと不安がいっぱいでした。

★ 趣味からプロへ:厳しい競争に挑む不安

また、技術的にも、プロ写真家の世界は競争が非常に激しく、自分では撮影技術に自信はあっても、売れるか売れないか決めるのは自分ではなくクライアントからの評価次第なので、はたして通用するのだろうか。また、才能やスキルだけでなく、マーケティング能力や人脈も必要で、自分がその競争に勝ち抜けるかどうか、自信が持てないという悩みもよく聞きます。私も写真沼にはまり、趣味の写真展を開いたこともありました。しかし、プロになりたい気持ちはあっても、とてもプロになろうとは思えませんでした。最初から憧れはあっても、プロになれるとは思えず、諦めていましたから。

★ プロになりたい夢を叶えてくれた出逢い

ところが私の場合は、趣味の風景写真展を開いたときに、プロの写真家との出逢いがありました。プロを目指す覚悟があるのなら指導してくれると言ってくれた写真作家の小林明治氏と出会って、はじめて夢が夢でなくなり、プロ写真家の道を歩もうと決意することができました。現実にどうすればプロとして仕事を始められるかの手ほどきがなければ到底決意することなどできませんでした。小林明治氏は、仙台で写真事務所をやってこられた方で、現役もほぼ引退して、山形市の郊外で大好きな甲斐犬を放し飼いにして遊んでいたからできたことでもありました。時期的にこの出逢いはとてもラッキーでした。

★ 問題を解決する取り組みの一つ 専門分野を作ろう

プロの写真家といっても、どんな分野でも自信を持って撮影できるプロもいるでしょうが、大抵の場合は、一つあるいは幾つかの専門分野に特化した写真家が多いのは当然です。自分の好きな得意な分野、利益になりやすい分野など、仕事をやっているうちにこの分野に特化しようと後に専門家になっていくことも多いのです。私の場合も、写真事務所を立ち上げた時は、師匠は「田舎では何でも撮影できる必要がある」とのアドバイスで、作成したホームページには色んな分野のサンプルを並べていたものです。しかし、実際にやっているといつの間にか自分の好きな分野と需要が次第に一致して、建築写真に特化するようになりました。当時は、建築写真といえば、大型カメラを使用して撮影するのが一般的で、建築美とともに機材の迫力にも魅了され、建築写真のサンプルをどんどん追加して、ホームページを次第に建築専門に変えていきました。

★ プロの建築写真家を目指す方々のために私が出来ること

私がこれまでの経験で得た知識やノウハウを活かせば、あなたの不安を取り除くお手伝いができると確信しています。私は、ただ技術的なアドバイスをするだけではなく、プロ写真家としてどのようにキャリアを構築していくか、どのように仕事を獲得し、クライアントと信頼関係を築くか、さらには自分の個性を活かした作品を作り上げる方法など、具体的な指導をさせていただきたいと考えています。

プロ写真家を目指すあなたへ――最短で高収入を実現するマンツーマン指導

撮影技術の向上も、営業のノウハウ習得も、一人で試行錯誤するには時間がかかりすぎます。私は、長年にわたりプロの現場で培った経験をもとに、あなたの個性や目標に合わせた完全オーダーメイドの指導を行います。集団指導ではなく、あなたにとって最も必要なスキルを、最短ルートで習得できるマンツーマン方式。これにより、短期間で確実にプロとして高収入を得られるレベルまで引き上げます。数年間の近道があったとしたら、近道を通ったほうが絶対いいと思われるでしょう。この指導でぜひ夢の早期実現を叶えてください。

撮影技術の向上:あなたのレベルや得意分野を分析し、強みを伸ばしながら、プロとして通用する技術を身につける。
営業・ブランディング:仕事を獲得し、継続的に依頼を得るための実践的なノウハウを伝授。
即戦力となるスキル習得:実際の案件で求められるクオリティを学び、すぐに活躍できるレベルへ。

一流のプロ写真家としての第一歩を、最短で確実に踏み出しましょう。

私も不安を抱えながら、小林明治氏の指導をいただきながら、一歩一歩進んでいくうちに、山形市で写真事務所を開設して7年目に、思いがけなく黒川紀章先生の専属写真家として仕事をさせていただきました。平成10年(1998年) 趣味の風景写真展(個展)を開き、そこで写真作家の小林明治氏と出逢って写真事務所を開設してから、黒川紀章先生の専属写真家までの歩みを書いてみます。

★黒川紀章先生の専属写真家までの歩み

平成11年(1999年) 齋藤写真事務所開業。知り合いの神社や住宅の初仕事。風景、茶人撮影。
平成12年(2000年) おくのほそ道(山形県内)、地元の寺院本堂落慶の撮影。山形の茶人100人写真展(山形市文翔館)。
平成13年(2001年) 山形大学医学部看護学科の入学案内パンフレット制作(写真撮影と編集)
平成14年(2002年) 山形大学医学部の入学案内パンフレット制作(写真撮影と編集) 世界遺産九寨溝&黄龍撮影、CD写真集発刊。
平成15年(2003年) 横浜の中華料理店のCD写真集制作。上海・貴陽・桂林撮影 界遺産九寨溝&黄龍写真展(横浜市港北区)。住友林業の住宅撮影。
平成16年(2004年)現代建築写真展(東京都港区 建築会館)
平成17年(2005年)バリ島・ロンボク島撮影。黒川紀章先生の依頼で8月、SPAZIO BRERA GINZA(港区銀座) 11月、長崎歴史文化博物館(長崎市)撮影。
平成18年(2006年)写真事務所を関東に移転。黒川紀章先生の国立新美術館(港区六本木)撮影。

翌年の平成19年(2007年)、黒川紀章先生は、突然都知事選挙と参議院選挙に立候補され、落選。その後あっという間に逝去されました。妻の若尾文子さんにも知らせていなかった末期の膵臓癌だったそうです。黒川紀章先生の専属写真家はたった2年だけでしたが、私に自信と勇気を与えていただき、その後も順調に建築写真を仕事をさせていただき、今日に至っています。

 

私はこれまでプロの建築写真家として多くの経験を積んできました。この仕事を通じて建築写真の奥深さ、そしてその魅力に触れると同時に、多くの困難や挑戦も経験してきました。しかし、それらを乗り越えるたびに、この仕事の素晴らしさを改めて実感し、建築写真家としての生きがいを感じています。私自身が歩んできた道を振り返ると、プロ写真家になるという決断を前に立ち止まってしまう気持ちは、痛いほどよく理解できます。だからこそ、これからプロを目指す人たちに、その迷いや不安を解消するための道筋を示し、背中を押してあげたいと思うのです。

建築写真はただの”写真”ではありません。それは建物の形状やデザインを映し出すだけでなく、その建築物に込められた設計者の思いや、建築過程で関わった職人たちの情熱を写真の中に宿らせることが求められる仕事です。一枚の写真で建物の美しさを伝えるだけでなく、その場所が持つ物語や空間の空気感までも感じさせることができる、非常に奥深い表現の世界です。そのためには、技術力だけではなく、建築そのものへの理解や、観察力、そして感性が不可欠です。

さらに、建築写真の魅力は、建築という不変的な対象物を扱うことで、作品としての価値が長く続く点にもあります。撮影した建築写真は、設計事務所や建設会社のPRツールとして利用されるだけでなく、建物が持つ歴史や文化を未来に伝える重要な記録となります。その責任感とやりがいを共有し、あなたにもその喜びを感じてほしいと思います。

私が目指すのは、あなたがプロ写真家として成功するための道筋を一緒に築いていくことです。そのためには、まずあなた自身の個性や強みを見つけ、それを活かすための具体的なスキルや知識を身につけるお手伝いをします。たとえば、クライアントとの信頼関係を築くための提案方法、効果的なポートフォリオの作り方、webサイトやSNS、マーケティングを活用した仕事の広げ方など、現代の写真家に必要な要素を包括的に学ぶことができます。

また、実際に建築写真の撮影現場で求められるスキルについても、細かく指導いたします。建築写真の撮影の仕方はもちろん、パソコンでの現像や加工の仕方、アルバムやフォトブックの制作技術まで、基礎から応用までを実践的に指導したいと考えています。そして、ただ指導するだけでなく、私自身の経験談や失敗から学んだことも共有し、あなたが同じ失敗をしないようサポートします。仕事をしながら、クライアントに教えていただいたり、注意を受けたり、いろんな失敗がありました。最初から順調だったわけではありません。今となっては笑い話になってしまいますが、そんな失敗談を、これから学ぼうとしている後継者の皆さんに伝えることによって、失敗を回避して、年数をかけずに喜ばれる作品をクライアントに提供できるようになれば、その分の経費も削減し収入も多くなり、皆さんのこれからの仕事のお役に立てると信じます。

一人で悩んでいると、不安はどんどん大きくなっていきます。しかし、目標に向けて行動を起こし、小さな成功体験を積み重ねることで、その不安は次第に自信に変わります。私はその最初の一歩を踏み出すお手伝いをし、あなたが夢に向かって前進するサポートを全力で行いたいと思います。

プロ写真家を目指す旅は、決して簡単なものではありません。しかし、それ以上にやりがいや達成感、そして何より写真を通じて多くの人と繋がる喜びがあります。私はその喜びを、これから挑戦する皆さんと共有し、一緒に歩んでいきたいと思っています。どんな些細な不安や疑問でも構いません。ぜひ、一緒にその夢を形にしていきましょう。

★ LINEやZoomで、あなたが学びたいことだけを選んで指導できるマンツーマン形式

関東にお住まいの方であれば、直接お会いして指導することも可能ですが、遠くにお住まいの方もZoomで画面を共有しながら指導いたします。
PCの作業などは、会って指導するよりも、Zoomで画面共有するほうが、実は効率がいいのです。実際に撮影した画像をお互いに見ながら、評価し、現像や加工の仕方を細かく指導できます。マンツーマンですので学びたいことだけを自分のスタイルに合わせて進められますので、短期間に限定的にして、指導の費用も安く抑えることができます。実際の費用は、指導期間や内容により相談して、お互いに納得のいく形で決めたいと思っています。(提案はこちらからさせていただきます)

 

 

 

◉ LINEであなたの将来の夢やお悩みを聞かせてください

下記のボタンをクリックして無料公式LINEで雑談をしてみませんか。相談という硬苦しいのではなく、雑談から会話を楽しみましょう。有料サービスへの申し込みには、それ相応の決断が必要です。雑談を重ねて本当にプロ写真家になったほうがいいのか、私も会話をしながら、あなたがプロ写真家になったほうがいいのか、別の道に進んだほうがいいのかなど率直にアドバイスできます。誰にでもプロ建築写真家になるのを勧めるのではありません。強引な勧誘は行なっていませんのでご安心ください。

 

齋藤写真事務所代表 齋藤貞幸(さいとう さだゆき)のプロフィール

 

● 昭和29年 (1954年)3月
山形県村山市樽石生まれ。芭蕉「おくのほそ道」に登場する最上川三難所の1つ碁点(ごてん)から西へ4kmの葉山(この奥には月山がある)の麓、大自然の中で生まれ育つ。一歳の時、近所の火が燃え移り、自宅が全焼して辛うじて助け出されたとか。家族11人と牛2頭が隣の本家の納屋で仮住まいをさせていただいたそうだ。もちろん記憶には一切ない。樽石は、最近テレビで、ひっぱりうどん発祥の地として有名になっている。

三難所 碁点 画像
出身地近くの 「おくのほそ道」最上川三難所の一つ 碁点(ごてん)

● 昭和47年(1972年)
山形県立村山農業高校農業科(現在は、村山産業高校)卒業。実家が農家で長男だったので、後継者として農業科で学んだ(遊んだ?)ものの、高3の時方向転換し、担任のアドバイスで教員を目指して大学受験をすることになった。高校時代は生物部に所属。生物室に何故か暗室があり、モノクロ写真を撮影しては、徹夜で引き伸ばしの作業をした楽しい思い出がある。当時所有のカメラは、ハーフ判で撮影でき、36枚撮りのフィルムで2倍のカットが撮影できた OLYMPUS – PEN F

● 昭和54年 (1979年)
新潟大学教育学部卒業。高校教諭として文京区白山にある京華商業高等学校に勤務。生徒を撮るために、一眼レフカメラを購入。しかし、全てオートで簡単に撮影するだけだった。カメラは、Canon A-1

● 昭和63年 (1988年)
高校教諭を退職し、学習塾を経営・指導

● 平成6年 (1994年)
早朝の家庭教師を終えて、ちょっと寄り道をして山間のそば街道をドライブした。ふと居眠り運転をして、工事中の急カーブの砂利道でハンドルがとられ、ガードレールも未設置の所で崖から転落。意識が戻ったら川の中で反転してまだ生きていた。九死に一生を得る。命拾いはこれで2回目。生と死を考えてみようと、死後の安楽と往生を祈る山として有名な名峰月山(山形県 我が家の西に位置していて近いが、その前に葉山があって見えない)に登山。その時の大自然の夜明けの美しさに感動し、自然美の写真作品を残そうと思い、本格的に写真を撮り始めることになった。山形の自然の風景、特に蔵王連峰を被写体に作品作りに勤しんだ。この時からカメラの本格的な使い方、露出とシャッタースピード、ISO感度の関係などが分かって写真沼に嵌まってしまった。一眼レフカメラ(フィルム)を購入。カメラは、Canon EOS 5 

月山 画像

森敦著『月山』で死の山として有名になった月山(がっさん)

 

● 平成10年 (1998年)
自然風景の写真展を開催して知り合った写真作家の小林明治氏(昭和13年 <1938年>~平成26年<2014年>)に出逢って師事。現役を引退し、愛犬(甲斐犬)を自由に走らせるために山形市郊外にお住まいだった。小林氏の父親は東京で写真機材店を経営していた。土門拳、岡田紅陽(富士山の写真家)、など当時の有名写真家が頻繁に出入りしていたため、いろいろな写真家の助手をしながら写真技術を学ばれた。東京大空襲で山形に疎開。終戦後は仙台市で写真事務所を経営し、電通や博報堂など大手広告代理店の仕事をしておられた。小林明治師匠の指導のもと、翌年の平成11年(1999年)、齋藤写真事務所を設立。

35mm一眼レフカメラ・レンズを全て処分し、中版・大型カメラに切り替える。


6×6cmのHasselblad ハッセルブラッド


4×5インチの大型カメラ sinar P2


8×10インチの超大型カメラ Cambo Legend


4×5インチの広角レンズ専用Cambo Wide

● 平成17年 (2005年)
写真事務所を始めて当初は何でも撮影できるようにとの師匠の指導で、自分で制作したホームページには、建築写真の他、商品撮影、人物撮影、風景など幅広い分野の撮影サンプルを追加していった。

その中で最も好きな建築写真の依頼が増えてきた。本格的に建築写真の仕事としてはまだ5年位だったが、思いがけず、世界の建築家黒川紀章先生より直接撮影依頼を頂く。営業が嫌いなので、自分でこつこつとホームページに作品を掲載し続けていた。それが黒川先生の目に止まったようで、当時はどうして私に?と不思議でならなかった。秘書からの突然の電話で、銀座に新しいビルが出来たので見積もりを出してくださいとのこと。

それほどの大先生の作品の見積もりなど作ったことがないし、まして仕事もしたことがない。黒川先生のではなく弟子の作品なのかもと思いながら、山形市在住で遠かったが銀座まで下見に行ってみた。

秘書から説明を受け、黒川紀章先生の作品だと知って、どうして私に?と尋ねたいのは山々だったが、とてもできなかった。どう撮影するかは、お任せだとの先生の伝言をいただいた。後で分かったのだが、黒川紀章先生が写真集やいろんな発表に使用するための専属写真家としての依頼だった。

当時はフィルムを使用する大型カメラで撮影し、フィルムとスキャンした画像の2種類を無事納品できた。最初の1件だけで、捨てられると思ったら、次に同年の秋、長崎歴史文化博物館のオープン間際に3日間で撮影してほしいとの依頼をいただいた。オープンの準備や補修工事でバタバタしている中での撮影だった。またその翌年の3月には、黒川先生がトルコで発表するためにということで、オープン前の国立新美術館を撮影させていただいた。

SPAZIO BRERA GINZA(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)8月1日オープン

SPAZIO BRERA GINZA(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)8月1日オープン

長崎歴史文化博物館(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)11月3日オープン

長崎歴史文化博物館(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)11月3日オープン

国立新美術館(設計:黒川紀章先生) 平成19年(2007年)1月21日オープン

国立新美術館(設計:黒川紀章先生) 平成19年(2007年)1月21日オープン

 

● 平成19年 (2007年)

黒川紀章先生は、共生新党の党首として都知事選に立候補し惨敗、その直後の参院選にも立候補されたが、あえなく落選。3ヶ月後に突然逝去された。過労もあったのだろうが、末期癌だったとのことを後に知って驚いた。国立新美術館の全体の撮影も頼むと約束していただいていた。そのうち発刊されるに違いない黒川先生の写真集のワンカットとして、国立新美術館をバックに、黒いポルシェと先生のお姿を撮影させていただこうと計画していたのに、その願いは叶わぬ夢となってしまった。

財団法人 文化財建造物保存技術協会の撮影開始。基本大型カメラ(カラーとモノクロフィルム)での撮影だった。成田山新勝寺(千葉県)、妙義神社(群馬県)などの神社仏閣を撮影。

フィルムカメラの需要が少なくなり、デジタルカメラやレンズの性能が向上したので、Nikonのデジタル一眼レフも使用するようになった。特にそれまで性能がよくなかった広角レンズの新製品がCanon から発売された。建築写真家の要望を取り入れて開発され、大型カメラの基本的な機能であるシフト機能(レンスを上下左右に移動させる機能)を備えた広角ティルト・シフトレンズ「Canon  TS-E17mm F4 L」「Canon  TS-E24mm F3.5 L II」。


広角ティルト・シフトレンズ「Canon TS-E 17mm F4 L

このレンズを使えるならと、NikonのデジタルカメラをCanonに買い替えてデジタルに以降することができた。しばらくは大型カメラも使用したが、時代の流れは完全にデジタルに移行していた。クライアントの、デジタルでたくさん撮影してほしいとの要望を叶えるにはフィルムよりもデジタルと割り切った。大型カメラ(フィルム)にこだわって乗り換えが遅くなってしまったのを反省した。

Canon EOS 5D デジタル一眼レフ。その後、EOS 5D Mark II、更に EOS 5D Mark III その後、EOS R6 ミラーレス一眼に。

● 平成23年 (2011年)
一眼レフカメラに加え、業務用カムコーダーSONY NEX-FS 100を導入し、動画撮影を開始。その後、スーパースローも撮影できるSONY NEX-FS 700、トラッキングレールなど動画撮影機材を充実。

● 平成28年 (2016年)
ドローン(DJI  Phantom 4、その後  DJI  Mavic 2 Pro)を導入し、国交省のドローンライセンスを取得して空撮を開始。

これまでの主な撮影実績

・ (株)黒川紀章建築都市設計事務所 長崎歴史文化博物館、国立新美術館、商業ビル SPAZIO BRERA GINZA
・ (財)文化財建造物保存技術協会 成田山新勝寺薬師堂、妙義神社随身門、他
・ 大和ハウス工業株式会社 ライフガーデンみどりの、光岡自動車つくば店、エニタイムフィットネス、
  大和物流㈱ つくばロジスティクスセンター他
・ 積水ハウス株式会社  等々力 MAISON BLANCHE、ホワイトオーク砧他
・ ミサワホーム株式会社 ミサワホーム静岡事務所ビル、注文住宅、別荘住宅
・ 株式会社土屋ホーム 佐久市・きくち歯科医院、別荘住宅
・ 奥村組 積水化学工業つくば工事所
・ 株式会社シェルター 神奈川県自然環境保全センター、石巻市北上総合支所、花巻市東和総合支所、伊南村地域交流センター、
  奥多摩福祉会館、東和図書館、保育園、幼稚園、教会、寺院他
・ 住友林業ホームテック株式会社 注文住宅
・ 新日本建設株式会社 注文住宅
・ 棟尾建築設計工房 興福寺国宝館、箱根緑樹山荘、所沢の家、株式会社日音オフィス
・ 青木建築設計 メディカルケアコート+グループホーム夢観
・ パナホーム株式会社 つくば竹園計画
・ 生和コーポレーション株式会社 高層マンション
・ 昭和フロント株式会社 筑波口腔外科、ファーストキャビン蛎殻町 蔦屋書店中目黒店、早稲田アリーナ
・ Century21株式会社 商業ビル・店舗 チョムチョム秋葉原
・ キーアーキテクツ パッシブタウン黒部モデル(YKK 不動産)、鎌倉パッシブハウス、十津川村モデルハウス他
・ 松井建設株式会社 パッシブタウン黒部モデル(YKK 不動産)
・ リソルホテル株式会社 スイートヴィラ熱海・伊豆・八ヶ岳 貸別荘
・ 株式会社共和工業 井の頭恩賜公園西園管理棟、新座市立第二中、第五中、新開小、他
・ 中日本商事株式会社 スーパー銭湯 太平温泉、
・ 株式会社ガイアフィールド リムテラス集合住宅
・ 株式会社羽原工務店 国土地理院 VLBI 観測局舎
・ 株式会社眞建築設計事務所 介護老人保養施設 笠間陽だまり館、小美玉敬愛の杜
・ 岡本里絵建築設計室 アルテ横浜 最上階メゾネットタイプ
・ 株式会社カーバル クオール薬局各店、海老名ビナガーデンズ 華味鳥 他
・ 株式会社ハヤシ工務店 ホンダカーズ富里店、他 ヒューマンプラザ黄鶴レストラン、美容院、住宅
・ 早稲田ハウス株式会社 「究極の寝室」PV動画制作&記者会見、個人住宅、
・ 木原造林株式会社 警視庁本部神楽坂公舎
・ 長塚建築設計事務所 古河市立第一小学校
・ 藤建装株式会社 旬鮮酒場 天狗 銀座店、渋谷店 他各店、霞ヶ関 ベリーグッドマン 他の店舗
・ 助川建設株式会社 つくば眼科、湊整形外科内科、おじま内科、スズキアリーナ、他
・ Life環境デザイン一級建築士事務所 別荘、個人住宅
・ 株式会社キクシマ 個人住宅・店舗
・ 株式会社ビーツー 個人住宅
・ 株式会社ホープス 狭小住宅
・ 新建新聞社 個人住宅、輸入住宅
・ 昭文社刊 『なるほど知図帳 日本の建築』に建築写真提供

建築写真の他、会社PR用写真、ポートレイト、スポーツ、風景等の写真撮影・動画制作
・ 講道館 全日本柔道選手権大会(毎年4月29日 武道館)
・ 諏訪市・地蔵寺 地蔵寺写真集制作(竣工写真、航空写真、行事)
・ 国立山形大学 医学部パンフレット用写真撮影&パンフレット制作
・ 妙義神社 本殿、随神門、webサイト制作、PR動画制作、ドローン空撮
・ ハートフル歯科医院(三鷹市) PR動画制作
・ 株式会社さかいまちづくり公社 商品撮影 動画制作
・日経BP社、小学館などの雑誌同行取材撮影
・宝島社 書籍制作協力
・ ㈱きんざい 「きんざいフィナンシャルプラン」誌協力
・世界遺産 ・ 中国 ・ 九寨溝& 黄龍、桂林、上海の撮影 CD写真集制作
・Hirsch Bedner Associates ( ホスピタリティー業界世界一位の実績を誇るU.S.A. のデザイン事務所)に写真提供
・インドネシア バリ島 ・ ロンボク島取材撮影
・動画時代 各種動画撮影・編集

■■ これまでの主な撮影分野 ■■ 
● (株)黒川紀章建築都市設計事務所をはじめとする 設計事務所や建設会社の建築写真撮影
● 財団法人 文化財建造物保存技術協会などの歴史的建造物の撮影
● 昭文社刊「なるほど知図帳 日本の建築」に建築写真提供
● 山形大学医学部入学案内パンフレット撮影&制作
● 会社PR用写真撮影
● 日経BP社、小学館などの雑誌同行取材撮影
● 世界遺産 ・ 中国 ・ 九寨溝& 黄龍、桂林、上海の撮影
● Hirsch Bedner Associates ( ホスピタリティー業界世界一位の実績を誇るU.S.A. のデザイン事務所) に写真提供
● インドネシア バリ島 ・ ロンボク島取材撮影


住友林業ホームテック(株) パンフレット「温故知新」


新日本建設株式会社 円盤のある家


ミサワホーム東京㈱ フラワーデザイナーの家


昭文社刊「日本の建築」 にたくさんの建築写真提供

■■ 写真展 ■■
●平成12年 山形の茶人100人写真展(山形市 文翔館)
●平成15年 世界遺産・九寨溝&黄龍 写真展(神奈川県横浜市港北区)
●平成16年 現代建築写真展 (東京都港区 建築会館)

■■ 写真集 ■■
●平成15年 世界遺産・九寨溝&黄龍 CD写真集
●平成15年 水&花 CD写真集
●平成17年 「おくのほそ道」出羽路編 CD写真集

 

幸運と感謝

居眠り運転で山中の崖から転落したり、北海道をドライブ中にエゾシカと衝突した際も無事だったことなど、これまで何度か命の危機に遭遇したことがありましたが、その度に奇跡的に無事でした。またその後のいろいろな経験から自分は生きているのではなく、「生かされている」「有り難い」という感覚を強く持っています。また長年苦しんでいた痛風や腰痛を自然療法で克服でき、心身ともに健康生活です。自分の経験と幸運を、後継者の皆様に還元し、皆さんに幸せになっていただきたい、お役に立ちたいと心から願っています。

趣味

卓球、旅行、ドライブ、一日二食の健康生活

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プロの建築写真家への道

あなたの夢を現実にするために

プロの写真家になりたい——そう思いながらも、「収入は安定するのか?」「競争に勝てるのか?」「機材やスキルにどれだけ投資すればいいのか?」といった不安で、一歩を踏み出せない方は多いのではないでしょうか。かつての私も、まさに同じ悩みを抱えていました。しかし、適切な指導と確かな戦略があれば、その不安を乗り越え、プロの道を歩むことができるのです。

私自身、独学だけではプロへの道を開けなかったかもしれません。しかし、ある出会いが私の人生を変えました。写真作家・小林明治氏から直接指導を受け、写真事務所を開設し、ついには建築家・黒川紀章先生の専属写真家として仕事をするまでになりました。この経験を通じて、プロの写真家として成功するためには「正しい学び」と「実践的な経験」が不可欠であることを痛感しました。

もしあなたが、

  • ただの趣味ではなく、写真を本業にしたい

  • 建築写真を専門にして、クライアントから評価される作品を作りたい

  • 収入の不安を解消し、安定した仕事を得られる方法を知りたい

と考えているなら、私が培ってきたノウハウを惜しみなくお伝えします。


プロの建築写真家になるための課題と解決策

1. 収入の不安をどう乗り越えるか?

プロの写真家として生計を立てるには、単なる「撮影技術」だけでは不十分です。クライアントを獲得し、安定的に仕事を得るための「営業力」と「マーケティング戦略」が重要です。

解決策: 私の指導では、

  • クライアントのニーズを把握し、的確に提案する方法

  • ポートフォリオの作り方と活用法

  • 価格設定と契約のコツ

  • SNSやWebを活用した集客法

といった実践的なノウハウを、具体的な事例を交えてお伝えします。

2. 競争の激しい業界で生き残るには?

写真の世界は競争が激しく、技術があっても仕事に結びつくとは限りません。特に、建築写真は専門性が求められる分野のため、確かな技術と実績がなければクライアントからの信頼を得るのは難しいのが現実です。

解決策: 私の指導では、

  • 建築写真の基本と高度な撮影テクニック

  • 建築デザインを理解し、設計意図を表現する方法

  • クライアントとの信頼関係を築くコミュニケーションスキル

を徹底的に学んでいただきます。技術だけでなく、「写真を売る力」を身につけることで、競争に打ち勝つ強みを手に入れることができます。

3. 専門分野を確立し、仕事を増やすには?

「何でも撮れる写真家」ではなく、「この分野ならこの人に頼みたい」と思われる存在になることが、プロとしての成功への鍵です。私自身も、最初は幅広い撮影を手がけていましたが、やがて建築写真に特化することで、専門性を確立し、安定した仕事を得られるようになりました。

解決策: あなたの得意分野を見極め、

  • どのジャンルに特化すべきか

  • その分野で求められる技術や知識

  • クライアントへの効果的なアピール方法

を一緒に考え、実践できるようサポートします。


私が提供する指導について

私の指導は、単なる撮影技術のレクチャーにとどまりません。

  • マンツーマン指導: あなたのレベルや目標に合わせた個別指導

  • 実践的なフィードバック: あなたの作品を実際にチェックし、改善点を具体的に指導

  • 現場体験: 実際の撮影現場に同行し、プロの仕事をリアルに体験

  • マーケティング&営業戦略: 仕事を得るための具体的な方法を伝授

この指導を通じて、あなたが「プロ写真家」として確実に成長できる環境を提供します。


夢を実現するために、今すぐ行動を

プロの写真家を目指す旅は決して簡単なものではありません。しかし、それ以上にやりがいと達成感、そして写真を通じて多くの人と繋がる喜びがあります。

今、あなたが「プロになりたいけど不安がある」と感じているなら、それはチャンスです。適切な知識と実践を積めば、不安は自信に変わり、夢は現実になります。

あなたが本気でプロを目指すなら、ぜひ私と一緒にその第一歩を踏み出しましょう。

お問い合わせ・お申し込みはこちらから

 

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