プロ建築写真家育成講座

メモ

 

目標

撮影依頼 月2件 7万×2 14万

育成講座 月2件 20万×2 40万 実際は割引で15万×2 30万

毎月44万

 

 

●キンドル電子書籍

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開業7年で黒川紀章先生のパーソナル写真家となった私の建築写真の8つの秘訣 —プロ建築写真家育成講座—

内容 

建築写真の撮り方

建築写真家としての私のエピソード

 

 

●LP プロ建築写真家育成講座
(オンライン・マンツーマン)

実技指導あり(オンラインまたは対面)

webサイト 建築写真の齋藤写真事務所
https://www.photokichi.com
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https://photokichi.com/proikuseikoza/

 

この講座で学ぶメリット 3つ

私のこの講座にかける思い

簡単な自己紹介

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無料LINE相談 何回かLINE通話であなたの目標や悩みを伺ってアドバイスいたします。

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3ヶ月 20万円(割引で15万円)

ZOOMでのセッション 毎月4回 他LINEでの相談

 

CM媒体

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●youtubeチャンネル photokichi 

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黒川紀章先生のパーソナル写真家となった私のマンツーマンでのプロ建築写真家育成講座

 

このページをご覧になっているあなたは、きっとこんな不安をかかえているのではないでしょうか。

プロ写真家を目指したいけれど、決断に踏み切れない理由として考えられる悩みを以下に挙げます。

  1. 収入の不安定さ
    写真家としての収入が不安定になる可能性が高いため、経済的な面で不安を感じている。特に、初期の段階では仕事の受注が少ない可能性があるため、安定した生活が維持できるか心配。

  2. 競争の激しさ
    プロ写真家の世界は競争が非常に激しく、才能やスキルだけでなく、マーケティング能力や人脈も必要となる。自分がその競争に勝ち抜けるかどうか自信が持てない。

  3. 技術や機材への投資の負担
    プロとして活動するには、高品質なカメラやレンズ、編集ソフトなどの機材が必要で、それらの初期投資や維持費用が大きな負担になる可能性がある。

  4. 自己表現とクライアントの要望のバランス
    自分のアートとしての写真を追求したいという気持ちと、クライアントの求める写真を提供する必要性との間で葛藤が生じるかもしれないという懸念。

  5. キャリアの不透明さ
    写真家としての成功や将来の展望が明確に見えないことが不安材料となる。自分の写真が評価されるかどうか、またどの分野で活動すれば良いのかが分からず、決断を先延ばしにしてしまう。

これらの悩みは、多くのプロ写真家が初めに直面する課題でもあります。それぞれに対する具体的な解決策を考えることで、迷いを解消しやすくなるかもしれません。

 

以下は、挙げられた5つの課題に対する具体的な解決策です。これらの対応策は、プロ写真家を目指す人が現実的に踏み出すための指針となるはずです。

1. 収入の不安定さ

解決策:

  • 副業としてスタート: 最初は現在の仕事を続けながら副業として写真活動を始め、収入のベースを確保する。徐々に写真の仕事の割合を増やしていく。
  • 収入の多様化: 撮影だけでなく、写真教室の運営やストックフォトの販売、SNSを活用したスポンサー契約など、複数の収入源を確保する。
  • 計画的な貯金: プロ写真家として独立する前に、少なくとも半年分以上の生活費を貯金しておき、不安定な時期を乗り越える準備をする。

2. 競争の激しさ

解決策:

  • ニッチ分野の選定: 自分が得意とする特定の分野(例:建築写真、フードフォト、ポートレートなど)に特化することで、競合との差別化を図る。
  • 強みを活かす: 他の写真家と差別化できるスキルや視点(例えば独自の構図や編集スタイル)を磨き、ポートフォリオでアピールする。
  • 人脈の構築: SNSや写真コミュニティ、業界のイベントに積極的に参加して、自分の活動を知ってもらう機会を増やす。

3. 技術や機材への投資の負担

解決策:

  • 段階的な投資: 初期はプロ用の高価な機材に一気に投資せず、必要最低限の機材を揃えるところから始める。仕事が増えてきた段階で徐々にアップグレードする。
  • レンタルの活用: 高価な機材が必要な場合は、購入ではなくレンタルで対応することで初期コストを抑える。
  • 中古市場の活用: 状態の良い中古の機材を購入してコストを削減する。信頼できる業者やコミュニティで探す。
  • 技術力でカバー: 高価な機材がなくても、光や構図、編集技術を駆使して、見栄えの良い写真を撮るスキルを磨く。

4. 自己表現とクライアントの要望のバランス

解決策:

  • 得意分野をアピール: 自分のスタイルが生きる仕事を優先的に受けるため、ポートフォリオやSNSで自分の得意な写真を発信する。
  • コミュニケーション力の向上: クライアントとの話し合いを丁寧に行い、相手のニーズをしっかり理解した上で、自分の表現との折り合いをつける方法を模索する。
  • プライベート作品を続ける: クライアントワークだけでなく、自分の好きなテーマでプライベート作品を撮り続けることで、自己表現の場を保つ。

5. キャリアの不透明さ

解決策:

  • ロールモデルを探す: 憧れの写真家や成功している人のキャリアを研究し、自分の道筋を具体的にイメージする。
  • 目標設定: 短期・中期・長期の目標を設定し、それを達成するための具体的なステップを明確にする。例えば「1年以内にポートフォリオを完成させる」「3年以内に個展を開く」など。
  • 定期的な振り返り: 自分の活動や収益状況を定期的に見直し、改善点を把握して軌道修正を行う。
  • コーチングやメンターの活用: 経験豊富な写真家やビジネスコンサルタントにアドバイスを求めることで、不安や課題を具体的に解消する。

これらの解決策を取り入れながら、一歩ずつ前進することで、プロ写真家への道がより現実的で達成可能に感じられるはずです。特に小さな成功体験を積み重ねることが、最終的な決断に繋がるでしょう。

私はこれまでプロの建築写真家として、多くの経験を積んできました。建築写真の魅力、そしてその難しさを知ると同時に、多くの挑戦や困難にも直面してきました。しかし、その一つひとつを乗り越えるたびに、建築写真の素晴らしさと、自分がこの道を選んだ意味を実感しています。

プロの写真家を目指したいという夢を抱いている方々の中には、不安や迷いを抱えている人も多いと思います。収入の不安、競争の激しさ、技術や機材への投資など、直面する課題は多岐にわたります。その気持ちは痛いほど分かります。私自身も、同じような不安や葛藤を抱えた時期がありました。

だからこそ、私はその悩みを共有し、一緒に解決していきたいと考えています。私が培ってきた知識や経験を活かし、プロ建築写真家としての道を具体的にお伝えすることで、不安を自信に変えるお手伝いをしたいのです。技術的なスキルはもちろんのこと、どのようにキャリアを構築するか、どのように自分らしい写真を作り上げるか、そしてどのようにクライアントとの信頼関係を築くか。これらすべてを丁寧に指導していきます。

建築写真は、ただ美しい写真を撮るだけではありません。建物の魂や、そこに込められた設計者や職人たちの思いを写真に宿らせること。それがこの仕事の本質であり、最大の魅力です。その魅力を、これからプロを目指す人たちと共有し、あなたが自分の一歩を踏み出す力になれるよう、全力でサポートしたいと思っています。

一人でも多くの方が、建築写真の世界に挑戦し、その魅力を知り、成功へと繋げるお手伝いをする。それが、私自身の使命だと感じています。あなたがプロ写真家としての夢を叶えるために、一緒に歩んでいきましょう。

もっと詳しく

私はこれまでプロの建築写真家として多くの経験を積んできました。この仕事を通じて建築写真の奥深さ、そしてその魅力に触れると同時に、多くの困難や挑戦も経験してきました。しかし、それらを乗り越えるたびに、この仕事の素晴らしさを改めて実感し、建築写真家としての生きがいを感じています。私自身が歩んできた道を振り返ると、プロ写真家になるという決断を前に立ち止まってしまう気持ちは、痛いほどよく理解できます。だからこそ、これからプロを目指す人たちに、その迷いや不安を解消するための道筋を示し、背中を押してあげたいと思うのです。

プロの写真家を目指すとき、誰もが直面する不安があります。収入が不安定になるのではないかという経済的な懸念、競争の激しい業界で自分が生き残れるのかというプレッシャー、機材や技術にどれだけ投資すればいいのかという悩みなど、課題は多岐にわたります。私自身も同じような悩みを抱えていました。未来が見えず、踏み出す一歩に勇気が必要だったあの頃の自分を思い出すと、これから同じ道を歩もうとする方々の気持ちが痛いほど分かります。

しかし、これらの課題には必ず解決策があります。そして、私がこれまでの経験で得た知識やノウハウを活かせば、あなたの不安を取り除くお手伝いができると確信しています。私は、ただ技術的なアドバイスをするだけではなく、プロ写真家としてどのようにキャリアを構築していくか、どのように仕事を獲得し、クライアントと信頼関係を築くか、さらには自分の個性を活かした作品を作り上げる方法など、具体的な指導をしたいと考えています。

建築写真はただの”写真”ではありません。それは建物の形状やデザインを映し出すだけでなく、その建築物に込められた設計者の思いや、建築過程で関わった職人たちの情熱を写真の中に宿らせることが求められる仕事です。一枚の写真で建物の美しさを伝えるだけでなく、その場所が持つ物語や空間の空気感までも感じさせることができる、非常に奥深い表現の世界です。そのためには、技術力だけではなく、建築そのものへの理解や、観察力、そして感性が不可欠です。

さらに、建築写真の魅力は、建築という不変的な対象物を扱うことで、作品としての価値が長く続く点にもあります。撮影した建築写真は、設計事務所や建設会社のPRツールとして利用されるだけでなく、建物が持つ歴史や文化を未来に伝える重要な記録となります。その責任感とやりがいを共有し、あなたにもその喜びを感じてほしいと思います。

私が目指すのは、あなたがプロ写真家として成功するための道筋を一緒に築いていくことです。そのためには、まずあなた自身の個性や強みを見つけ、それを活かすための具体的なスキルや知識を身につけるお手伝いをします。たとえば、クライアントとの信頼関係を築くための提案方法、効果的なポートフォリオの作り方、SNSやマーケティングを活用した仕事の広げ方など、現代の写真家に必要な要素を包括的に学ぶことができます。

また、実際に建築写真の撮影現場で求められるスキルについても、細かく指導します。光の扱い方、構図の考え方、レンズの選び方から編集技術まで、基礎から応用までを実践的に学べる環境を提供したいと考えています。そして、ただ指導するだけでなく、私自身の経験談や失敗から学んだことも共有し、あなたが同じ失敗をしないようサポートします。

一人で悩んでいると、不安はどんどん大きくなっていきます。しかし、目標に向けて行動を起こし、小さな成功体験を積み重ねることで、その不安は次第に自信に変わります。私はその最初の一歩を踏み出すお手伝いをし、あなたが夢に向かって前進するサポートを全力で行いたいと思います。

プロ写真家を目指す旅は、決して簡単なものではありません。しかし、それ以上にやりがいや達成感、そして何より写真を通じて多くの人と繋がる喜びがあります。私はその喜びを、これから挑戦する皆さんと共有し、一緒に歩んでいきたいと思っています。どんな些細な不安や疑問でも構いません。ぜひ、一緒にその夢を形にしていきましょう。

 

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齋藤写真事務所代表 齋藤貞幸(さいとう さだゆき)のプロフィール

 

● 昭和29年 (1954年)3月
山形県村山市樽石生まれ。芭蕉「おくのほそ道」に登場する最上川三難所の1つ碁点(ごてん)から西へ4kmの葉山(この奥には月山がある)の麓、大自然の中で生まれ育つ。一歳の時、近所の火が燃え移り、自宅が全焼して辛うじて助け出されたとか。家族11人と牛2頭が隣の本家の納屋で仮住まいをさせていただいたそうだ。もちろん記憶には一切ない。樽石は、最近テレビで、ひっぱりうどん発祥の地として有名になっている。

三難所 碁点 画像
出身地近くの 「おくのほそ道」最上川三難所の一つ 碁点(ごてん)

● 昭和47年(1972年)
山形県立村山農業高校農業科(現在は、村山産業高校)卒業。実家が農家で長男だったので、後継者として農業科で学んだ(遊んだ?)ものの、高3の時方向転換し、担任のアドバイスで教員を目指して大学受験をすることになった。高校時代は生物部に所属。生物室に何故か暗室があり、モノクロ写真を撮影しては、徹夜で引き伸ばしの作業をした楽しい思い出がある。当時所有のカメラは、ハーフ判で撮影でき、36枚撮りのフィルムで2倍のカットが撮影できた OLYMPUS – PEN F

● 昭和54年 (1979年)
新潟大学教育学部卒業。高校教諭として文京区白山にある京華商業高等学校に勤務。生徒を撮るために、一眼レフカメラを購入。しかし、全てオートで簡単に撮影するだけだった。カメラは、Canon A-1

● 昭和63年 (1988年)
高校教諭を退職し、学習塾を経営・指導

● 平成6年 (1994年)
早朝の家庭教師を終えて、ちょっと寄り道をして山間のそば街道をドライブした。ふと居眠り運転をして、工事中の急カーブの砂利道でハンドルがとられ、ガードレールも未設置の所で崖から転落。意識が戻ったら川の中で反転してまだ生きていた。九死に一生を得る。命拾いはこれで2回目。生と死を考えてみようと、死後の安楽と往生を祈る山として有名な名峰月山(山形県 我が家の西に位置していて近いが、その前に葉山があって見えない)に登山。その時の大自然の夜明けの美しさに感動し、自然美の写真作品を残そうと思い、本格的に写真を撮り始めることになった。山形の自然の風景、特に蔵王連峰を被写体に作品作りに勤しんだ。この時からカメラの本格的な使い方、露出とシャッタースピード、ISO感度の関係などが分かって写真沼に嵌まってしまった。一眼レフカメラ(フィルム)を購入。カメラは、Canon EOS 5 

月山 画像

森敦著『月山』で死の山として有名になった月山(がっさん)

 

● 平成10年 (1998年)
自然風景の写真展を開催して知り合った写真作家の小林明治氏(昭和13年 <1938年>~平成26年<2014年>)に出逢って師事。現役を引退し、愛犬(甲斐犬)を自由に走らせるために山形市郊外にお住まいだった。小林氏の父親は東京で写真機材店を経営していた。土門拳、岡田紅陽(富士山の写真家)、など当時の有名写真家が頻繁に出入りしていたため、いろいろな写真家の助手をしながら写真技術を学ばれた。東京大空襲で山形に疎開。終戦後は仙台市で写真事務所を経営し、電通や博報堂など大手広告代理店の仕事をしておられた。小林明治師匠の指導のもと、翌年の平成11年(1999年)、齋藤写真事務所を設立。

35mm一眼レフカメラ・レンズを全て処分し、中版・大型カメラに切り替える。


6×6cmのHasselblad ハッセルブラッド


4×5インチの大型カメラ sinar P2


8×10インチの超大型カメラ Cambo Legend


4×5インチの広角レンズ専用Cambo Wide

● 平成17年 (2005年)
写真事務所を始めて当初は何でも撮影できるようにとの師匠の指導で、自分で制作したホームページには、建築写真の他、商品撮影、人物撮影、風景など幅広い分野の撮影サンプルを追加していった。

その中で最も好きな建築写真の依頼が増えてきた。本格的に建築写真の仕事としてはまだ5年位だったが、思いがけず、世界の建築家黒川紀章先生より直接撮影依頼を頂く。営業が嫌いなので、自分でこつこつとホームページに作品を掲載し続けていた。それが黒川先生の目に止まったようで、当時はどうして私に?と不思議でならなかった。秘書からの突然の電話で、銀座に新しいビルが出来たので見積もりを出してくださいとのこと。

それほどの大先生の作品の見積もりなど作ったことがないし、まして仕事もしたことがない。黒川先生のではなく弟子の作品なのかもと思いながら、山形市在住で遠かったが銀座まで下見に行ってみた。

秘書から説明を受け、黒川紀章先生の作品だと知って、どうして私に?と尋ねたいのは山々だったが、とてもできなかった。どう撮影するかは、お任せだとの先生の伝言をいただいた。後で判明したのだが、ゼネコンの依頼で一般的に行う竣工写真ではなく、黒川紀章先生が写真集やいろんな発表に使用するためのプライベートフォトグラファーとしての依頼だった。長崎歴史文化博物館撮影時に、他にもゼネコンからの依頼で写真撮影していた方とも一緒になったので判った。

当時はフィルムを使用する大型カメラで撮影し、フィルムとスキャンした画像の2種類を無事納品できた。最初の1件だけで、捨てられると思ったら、次に同年の秋、長崎歴史文化博物館のオープン間際に3日間で撮影してほしいとの依頼をいただいた。オープンの準備や補修工事でバタバタしている中での撮影だった。またその翌年の3月には、黒川先生がトルコで発表するためにということで、オープン前の国立新美術館を撮影させていただいた。

SPAZIO BRERA GINZA(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)8月1日オープン

SPAZIO BRERA GINZA(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)8月1日オープン

長崎歴史文化博物館(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)11月3日オープン

長崎歴史文化博物館(設計:黒川紀章先生) 平成17年(2005年)11月3日オープン

国立新美術館(設計:黒川紀章先生) 平成19年(2007年)1月21日オープン

国立新美術館(設計:黒川紀章先生) 平成19年(2007年)1月21日オープン

 

● 平成19年 (2007年)

黒川紀章先生は、共生新党の党首として都知事選に立候補し惨敗、その直後の参院選にも立候補されたが、あえなく落選。3ヶ月後に突然逝去された。過労もあったのだろうが、末期癌だったとのことを後に知って驚いた。国立新美術館の全体の撮影も頼むと約束していただいていた。そのうち発刊されるに違いない黒川先生の写真集のワンカットとして、国立新美術館をバックに、黒いポルシェと先生のお姿を撮影させていただこうと計画していたのに、その願いは叶わぬ夢となってしまった。

財団法人 文化財建造物保存技術協会の撮影開始。基本大型カメラ(カラーとモノクロフィルム)での撮影だった。成田山新勝寺(千葉県)、妙義神社(群馬県)などの神社仏閣を撮影。

フィルムカメラの需要が少なくなり、デジタルカメラやレンズの性能が向上したので、Nikonのデジタル一眼レフも使用するようになった。特にそれまで性能がよくなかった広角レンズの新製品がCanon から発売された。建築写真家の要望を取り入れて開発され、大型カメラの基本的な機能であるシフト機能(レンスを上下左右に移動させる機能)を備えた広角ティルト・シフトレンズ「Canon  TS-E17mm F4 L」「Canon  TS-E24mm F3.5 L II」。


広角ティルト・シフトレンズ「Canon TS-E 17mm F4 L

このレンズを使えるならと、NikonのデジタルカメラをCanonに買い替えてデジタルに以降することができた。しばらくは大型カメラも使用したが、時代の流れは完全にデジタルに移行していた。クライアントの、デジタルでたくさん撮影してほしいとの要望を叶えるにはフィルムよりもデジタルと割り切った。大型カメラ(フィルム)にこだわって乗り換えが遅くなってしまったのを反省した。

Canon EOS 5D デジタル一眼レフ。その後、EOS 5D Mark II、更に EOS 5D Mark III その後、EOS R6 ミラーレス一眼に。

● 平成23年 (2011年)
一眼レフカメラに加え、業務用カムコーダーSONY NEX-FS 100を導入し、動画撮影を開始。その後、スーパースローも撮影できるSONY NEX-FS 700、トラッキングレールなど動画撮影機材を充実。

● 平成28年 (2016年)
ドローン(DJI  Phantom 4、その後  DJI  Mavic 2 Pro)を導入し、国交省のドローンライセンスを取得して空撮を開始。

これまでの主な撮影実績

・ (株)黒川紀章建築都市設計事務所 長崎歴史文化博物館、国立新美術館、商業ビル SPAZIO BRERA GINZA
・ (財)文化財建造物保存技術協会 成田山新勝寺薬師堂、妙義神社随身門、他
・ 大和ハウス工業株式会社 ライフガーデンみどりの、光岡自動車つくば店、エニタイムフィットネス、
  大和物流㈱ つくばロジスティクスセンター他
・ 積水ハウス株式会社  等々力 MAISON BLANCHE、ホワイトオーク砧他
・ ミサワホーム株式会社 ミサワホーム静岡事務所ビル、注文住宅、別荘住宅
・ 株式会社土屋ホーム 佐久市・きくち歯科医院、別荘住宅
・ 奥村組 積水化学工業つくば工事所
・ 株式会社シェルター 神奈川県自然環境保全センター、石巻市北上総合支所、花巻市東和総合支所、伊南村地域交流センター、
  奥多摩福祉会館、東和図書館、保育園、幼稚園、教会、寺院他
・ 住友林業ホームテック株式会社 注文住宅
・ 新日本建設株式会社 注文住宅
・ 棟尾建築設計工房 興福寺国宝館、箱根緑樹山荘、所沢の家、株式会社日音オフィス
・ 青木建築設計 メディカルケアコート+グループホーム夢観
・ パナホーム株式会社 つくば竹園計画
・ 生和コーポレーション株式会社 高層マンション
・ 昭和フロント株式会社 筑波口腔外科、ファーストキャビン蛎殻町 蔦屋書店中目黒店、早稲田アリーナ
・ Century21株式会社 商業ビル・店舗 チョムチョム秋葉原
・ キーアーキテクツ パッシブタウン黒部モデル(YKK 不動産)、鎌倉パッシブハウス、十津川村モデルハウス他
・ 松井建設株式会社 パッシブタウン黒部モデル(YKK 不動産)
・ リソルホテル株式会社 スイートヴィラ熱海・伊豆・八ヶ岳 貸別荘
・ 株式会社共和工業 井の頭恩賜公園西園管理棟、新座市立第二中、第五中、新開小、他
・ 中日本商事株式会社 スーパー銭湯 太平温泉、
・ 株式会社ガイアフィールド リムテラス集合住宅
・ 株式会社羽原工務店 国土地理院 VLBI 観測局舎
・ 株式会社眞建築設計事務所 介護老人保養施設 笠間陽だまり館、小美玉敬愛の杜
・ 岡本里絵建築設計室 アルテ横浜 最上階メゾネットタイプ
・ 株式会社カーバル クオール薬局各店、海老名ビナガーデンズ 華味鳥 他
・ 株式会社ハヤシ工務店 ホンダカーズ富里店、他 ヒューマンプラザ黄鶴レストラン、美容院、住宅
・ 早稲田ハウス株式会社 「究極の寝室」PV動画制作&記者会見、個人住宅、
・ 木原造林株式会社 警視庁本部神楽坂公舎
・ 長塚建築設計事務所 古河市立第一小学校
・ 藤建装株式会社 旬鮮酒場 天狗 銀座店、渋谷店 他各店、霞ヶ関 ベリーグッドマン 他の店舗
・ 助川建設株式会社 つくば眼科、湊整形外科内科、おじま内科、スズキアリーナ、他
・ Life環境デザイン一級建築士事務所 別荘、個人住宅
・ 株式会社キクシマ 個人住宅・店舗
・ 株式会社ビーツー 個人住宅
・ 株式会社ホープス 狭小住宅
・ 新建新聞社 個人住宅、輸入住宅
・ 昭文社刊 『なるほど知図帳 日本の建築』に建築写真提供

建築写真の他、会社PR用写真、ポートレイト、スポーツ、風景等の写真撮影・動画制作
・ 講道館 全日本柔道選手権大会(毎年4月29日 武道館)
・ 諏訪市・地蔵寺 地蔵寺写真集制作(竣工写真、航空写真、行事)
・ 国立山形大学 医学部パンフレット用写真撮影&パンフレット制作
・ 妙義神社 本殿、随神門、webサイト制作、PR動画制作、ドローン空撮
・ ハートフル歯科医院(三鷹市) PR動画制作
・ 株式会社さかいまちづくり公社 商品撮影 動画制作
・日経BP社、小学館などの雑誌同行取材撮影
・宝島社 書籍制作協力
・ ㈱きんざい 「きんざいフィナンシャルプラン」誌協力
・世界遺産 ・ 中国 ・ 九寨溝& 黄龍、桂林、上海の撮影 CD写真集制作
・Hirsch Bedner Associates ( ホスピタリティー業界世界一位の実績を誇るU.S.A. のデザイン事務所)に写真提供
・インドネシア バリ島 ・ ロンボク島取材撮影
・動画時代 各種動画撮影・編集

■■ これまでの主な撮影分野 ■■ 
● (株)黒川紀章建築都市設計事務所をはじめとする 設計事務所や建設会社の建築写真撮影
● 財団法人 文化財建造物保存技術協会などの歴史的建造物の撮影
● 昭文社刊「なるほど知図帳 日本の建築」に建築写真提供
● 山形大学医学部入学案内パンフレット撮影&制作
● 会社PR用写真撮影
● 日経BP社、小学館などの雑誌同行取材撮影
● 世界遺産 ・ 中国 ・ 九寨溝& 黄龍、桂林、上海の撮影
● Hirsch Bedner Associates ( ホスピタリティー業界世界一位の実績を誇るU.S.A. のデザイン事務所) に写真提供
● インドネシア バリ島 ・ ロンボク島取材撮影


住友林業ホームテック(株) パンフレット「温故知新」


新日本建設株式会社 円盤のある家


ミサワホーム東京㈱ フラワーデザイナーの家


昭文社刊「日本の建築」 にたくさんの建築写真提供

■■ 写真展 ■■
●平成15年 世界遺産・九寨溝&黄龍 写真展(神奈川県横浜市)
●平成16年 現代建築写真展 (東京都港区 建築会館)

■■ 写真集 ■■
●平成15年 世界遺産・九寨溝&黄龍 CD写真集
●平成15年 水&花 CD写真集
●平成17年 「おくのほそ道」出羽路編 CD写真集

 

幸運と感謝

居眠り運転で山中の崖から転落したり、北海道をドライブ中にエゾシカと衝突した際も無事だったことなど、これまで何度か命の危機に遭遇したことがありましたが、その度に奇跡的に無事でした。またその後のいろいろな経験から自分は生きているのではなく、「生かされている」「有り難い」という感覚を強く持っています。また長年苦しんでいた痛風や腰痛を自然療法で克服でき、心身ともに健康生活です。自分の経験と幸運を、困っている方々、特に不登校で苦しんでおられる親御さんの皆様に還元し、皆さんに幸せになっていただきたい、お役に立ちたいと心から願っています。

趣味

卓球、旅行、ドライブ、一日二食の健康生活

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